[名称] | 長柄橋(ながらばし) |
[場所] | 大阪府大阪市北区本庄東 – 東淀川区柴島 |
[形式] | ニールセンローゼ・アーチ橋 |
[全長] | 656.37m |
[最大支間長] | 154.5m |
[幅] | 20m |
[高さ] | |
[着工・竣工] | 1973年(昭和48年)9月着工・1983年(昭和58年)3月竣工 |
[概要] | 浪速の名橋50選に選定された、淀川に架かるアーチ橋。
弘仁3年(812)に架けられた長柄橋は古来数多くの歌に詠まれている。しかし水の流れが変わってしまった今日ではもはやその位置を定かにするすべはな い。由緒ある長柄橋の名は明治42年(1909)新淀川の開削とともにこの位置に架けられた大橋に継承された。 長柄の人柱伝説 推古天皇の時代(592~628年)、淀川に長柄橋を架ける計画で、急流の工事が中々進まなかった時、役人が巌氏という長者に相談したところ、袴に継の当たった人を人柱になさればよいと答えた。役人が見ると巌氏本人がそれをはいていた為、意向をくみ本人を人柱に選定したという。その後巌氏の娘・照日は、この事を悲しみ口もきけなくなってしまった。困り果てた夫が照日を実家に帰そうと近くに来たところ、鳴き声を上げて飛び立った一羽の雉を射落とした。それを見た照日は、「ものいわじ 父は長柄の橋柱 鳴かずばキジも 射られざらまじ」(大願寺長柄人柱の由来)と詠った。妻が口を開いたのを喜んだ夫は、雉を手厚く葬り、来た道を取って返して北河内へ戻りその後仲良く暮らしたという。 今日、「鳴かずば雉も…」あるいは「雉も鳴かずば…」といえば「口は災いの元」という比喩に使われているが、この「長柄の人柱」は大阪ではよく知られた伝説となっている。 |
出典 大阪市 第61話 巌氏長者