[名称] | 天女橋(てんにょばし) |
[場所] | 沖縄県那覇市首里当蔵町1丁目 |
[形式] | 石造アーチ橋 |
[全長] | 9.75m |
[最大支間長] | |
[幅] | 3.28m |
[高さ] | |
[着工・竣工] | 1502年(尚真王26年)建設 |
[概要] | 首里城公園北側の円鑑池に架かる、現存する日本最古の石造アーチ橋。
1972年5月、国の重要文化財に指定された。
尚徳(しょうとく)王代の15世紀中頃、朝鮮王朝第7代国王世祖李瑈(りじゅう)から高麗版大蔵経(こうらいばんだいぞうきょう)が贈られた。 1502年、 尚真王(しょうしんおう)はこれを納めるため、円鑑地(えんかんち)を掘らせて中島に堂をつくりました。そこに架けられたのが天女橋で、観蓮橋(かんれんばし)とも呼ばれていた。 1609年、薩摩の侵入の際に堂は壊され、経典も失われた。 1621年になって堂は再建され、円覚寺にあった弁財天像を移して祀るようになり、堂は弁財天堂、橋は天女橋と呼ばれるようになった。 1744年、橋が傾きそうになったために修復を行い、同時に橋が弁財天堂に近過ぎたため現在の位置に移動した。 橋は、全長9.75m、幅3.28mで、琉球石灰岩でつくられ、中央を高くした単拱橋(アーチが一つの橋)になっている。 このような、中央を高くした単拱橋は、中国南部のクリーク(小川)の発達した地方に多く見られるもので、その趣を取り入れている。 欄干は、日本の木造の組み方を取り入れたもので、ニービヌフニと呼ばれる細粒砂岩を用いてつくられている。 日本、中国などの意匠や技法を巧みに組合わせ、工夫しているところに特徴がある。 1945(昭和20)年、中島は砲弾を受け、弁財天堂とともに失われたが、天女橋はわずかに傾き、欄干が落ちた程度で奇跡的に残った。 1969(昭和44)年、中島・弁財天堂の復元に伴い、天女橋も修復され今日に至る。 (那覇市観光資源データベース) |